思い出つらつら

 何時でも思い出せる記憶と、普段はすっかり忘れている記憶があった。忘れていることも忘れてしまっていた大事な事。探したから見つかったものの忘れたまま人生終わっていたのかもしれない…。そのことを含め思いつくまま気晴らしに文章を書こうと思う。

 

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幼少の頃、絵を描くのは得意だがそれほど上手くはなかった。いつも自分より上手い人が何人もいた。それでも続けたのはいくつか理由があり、大きなものの一つは家庭の中に居場所がなかったことだろう。家族に心を開くことを辞めた出来事がいくつかある。とても嫌な思い出なので忘れていたが三十代にふと思い出した。詳細は割愛するがそこから”諦め”を身に着けた。

 

見つかると貶されるから絵を描くときは見つからないようにコッソリ描いていた。

小学校高学年になると表向きの将来の夢とは別に本当の将来の夢はイラストレーターたった。他の事もそうだった。本音というか大事なモノは誰にも教えなかった。汚されないように、傷付けられないようにそうしていた。

 

好意的だったのは幼稚園に来ていた白髪の先生(何かしら美術的な時間に外から来る人)祖母、中学時代の過程狭隘、そして何人かの友人。皆からもらった言葉は今も描き続ける支えになってるのかもしれない。

 

───上手い人がいても描いていればいつかは追いつけると思っていた。

中学校に入ると次元の違う”越えられない人”がいるんだと悟った。何かのタイミングで隣の席になった時にノートに書いてあった絵に驚いた。おそらく授業中に描いたその絵は線に迷いがなく描き直した跡がなかった。初めて他人の描いた絵にショックを受けてしまった。

次にその人の絵を見たのは多分…宿題?で描いた絵だったと思う。美術の先生に渡すところを美術室の後ろの方から眺めていた。ほんの数秒の間、目に飛び込んできた絵は配色センス、画面のバランス、完成度どれをとっても素晴らしくて感動した。その年、市のコンクールで初めて表彰状をもらった。6組では私とその人が入賞していたと思う。負けてないのかもしれない…少し前向きに考えた。

 

2年生も同じクラスで再び絵を見る機会を得たのは勾当台公園で行われた写生授業での事、自分の作品が仕上がったのでひとりぶらぶら例の人を探した。どんな絵を描いているのか見たくて探した。その人の後ろからそっと近づいて覗き込んだ。木の幹の陰になる部分に青を塗っていた。思いもつかない考えに強い衝撃を受け打ちのめされてしまった。決定的に実力の差がある。追いつける気がしなかった。

…もし将来同じ道に進んだら敵わない。色のある絵では敵わないからモノクロの世界→漫画という風に将来の夢は変化した。その子の将来の夢は知らんのだけど

 

それから初めて漫画を描いて週刊漫画誌のコンテストに応募した。他にも友人の勧めでゲームのキャラクターデザインにも応募した。自分の意志でやると決めてやり切って勢いづきその道を進む意思を固めた。

その後、高校三年生の春、小学校からの友人に良くない話を聞いた。幼馴染の複雑な態度に何があったのか追及することができずいやな予感に苛まれ、いつしか体調を崩し夏休み明けから学校に通えない日が増えてその話自体忘れていった。

そからは唯、漫画家を目指した。それすら失ってしまうとあの三年間が暗く救いようのない時間になってしまうと感じたから、中学二年生の時にできた夢を追うことにした。それともうひとつあの人の才能を超えることが目標になっていた。

 

二十代になると人に影響を与えて人生を変えてしまう出来事が重なった。人と関わるのが煩わしくなり、友人との連絡を絶った。徐々に人が嫌いになってしまった。他人との関わりを辞めてしまうと人は老いて落ちぶれてしまう。這い上がるには自分ひとりの力では足りない程に深く落ちぶれてしまう…最初からそうと分かっていれば人と距離を置いて生きようなどと思わなかったかもしれない。ただその時は、他人と距離を置いていこうという生き方を選んだ。人生最大の過ちだった。

 

大人になっても引きずった心身の不調はそこが出発点なのだと気が付くのに長い時間が過ぎてしまった…浮上は2018年。一月近くの入院生活から始まった。

退院前に個室で医師と看護師の方と行った面談で精神科を強く勧められたのも大きい。私は取扱注意の入院患者として腫物だったのだ。とはいっても退院してからは再び緩やかに落ちぶれて行ったのだが、厚意で声を掛けてもらい仕事が始まり、仕事が辛い記憶を蘇らせた。その記憶に毎日苛まれて参った…その思い出の出来事の中に自身の問題があるのだと知らせていた。向き合わなくてはいけないのだと強く意識した。覚悟を決めてそうしなければいけなかった。

仕事は1年程で完了し、その年の年末から新たな通院先を増やした。

日々自分と向き合う中で失っていた記憶を取り戻した…もっと早く気付いていれば今とは全く違う人生を歩んでいたに違いない…それでも現状が現実だ。

 

ともかく周りの人の厚意に感謝。それから懐かしい人が頑張っている様子が伺えるものをネットで見かけて、何故か力が沸いてきて頑張らなくては!と気力をもらった。歳を重ねるともう交流はない人でも同じ時代を生きた人の懸命さにこんなにも力をもらえるものかと感慨する。

 

考えが思いが至らず取り返しのつかない事になるとそれは心の深いところに根を張り意識せずともそれ以降の行動に影響を及ぼす。その都度ちゃんと向き合っていくことがとても大事なのだとおっさんになって理解したのでした。