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絵における足し引き

徒然

漫画の製作を止めて水彩ばかり描いてるけど描いた分だけ階段を上がってゆく快感。明確に目指す完成状態は見えてないけども…。

 

細密に丁寧に描いた情報量のどっしりした絵は一般的に普遍的に、上手と言われる絵だろう(絵画って言葉がはまる感じ)。時間をかけてそういった絵を描きあげると達成感があるし、集中力が鍛えられる。時間というコストと共に情念も篭ってゆくので深い絵になる。そういったのは”足し算の絵”と捉える。

ソレとは別にデフォルメされた絵も好きで、例えば銅版画の山本容子さんや、志賀直哉の文庫本で知った熊谷守一さん。デザイン的な要素が強く、線の1本1本がその人と成りを表していて、これは”引き算の絵”。細部<全体、的な…。

引き算の場合注意したいのは、想像でばかり描いていると手癖の絵になってしまう所、手癖の絵は本当の落書きという認識を個人的に持ってるので注意したい部分。

 

引き算するには、一度足し算の絵を描いている時期が必要だろうと思ってて、けれど引き算する為に足し算するなんて不自然な行為。大概の場合、自然とそのタイミングが訪れ、足し算から引き算に移って行くもんじゃないかなと

 

私は、評価や見る人を選ばないならば後者の絵を選択するけど、見栄えや周りを気にして足し算の絵を描くことが多い。別に嫌いで描いてるわけでないのでそれはそれで楽しいけれど

「そればかりじゃないだろう」と反り返る何か…。

 

2年前、私の参加させてもらっている文芸同人サークルに、私が(心の中で勝手に)”赤い石”と名付けた人物を介して絵の仕事をした時

「シンプルな方に行く人ってあまり居ないじゃないですか」と彼に言われ、妙に納得すると共に啓示のようにずっとその言葉が引っかかっていた。”シンプルな方”というのは引き算の絵。

 

ずっと引っかかっている言葉にはいずれちゃんと向かい合う時(タイミング)が来る事、何度かあったので、きっと私はいずれシンプルな絵、引き算の絵に向かう気がする… というか、ここ数日、格好つけて絵だけ載せて語らない恥ずかしいblogに「白と黒」シリーズとまた格好付けた銘を恥ずかしげもなく打って描いてる絵があるけれど、それらは引き算で描いていて、案外いいものが描けてるな感じていたり…。

余計な事など深く考えない、最適な線を引くだけ、塗るだけ。出来上がった絵は邪魔にならず、かといって見捨てられないそんなものをどこかで目指してる…のかも?

 

 

ずっと白と黒で描いてたから使い慣れている分、水彩で絵を描く時には黒を極力使わないで絵を仕上げることで、水彩の技術を高めようと意識的に今年取り組んできた(というと大袈裟だけど)。でも大分、水彩に慣れてきたてボチボチ白と黒の絵との融合を考えているんだけど上手くいかない…。そんな状況で今日upした絵はモチーフがあるものの、手応えあり。一見、銅版画みたいな仕上がりになってるのが、個人的趣向にはまってて気に入ってる。

 

そんな足し引きの話でした。